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東京高等裁判所 昭和40年(う)353号 判決

被告人 中堂観恵

主文

原判決中被告人に関する部分を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人河和松雄、同松代隆及び同平野智嘉義連名作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。

控訴趣意第一点について

論旨は、要するに、原判決は被告人が昭和三八年四月一七日施行の東京都議会議員選挙に同都江東区から立候補することを決意していた安平輔から同人の当選を得しめる目的をもつて同人のため投票取纏めなどの選挙運動をすることに対する報酬などとして供与されるものであることを知りながら現金二万円の供与を受けた事実を認定し、被告人を有罪としているが、しかし、安平輔が被告人に右金員を交付したのは被告人が安の依頼に基き同人の後援会の主催にかかり、原判示選挙とは全く関係のない講演会に源田実を講師として斡旋することに対し社会的儀礼たる歳暮として交付したに過ぎないのであつて、右のほか特に安のため選挙運動をすることに対する報酬として交付したものではなく、被告人もまたそのように認識して該金員を受領したのであるから、被告人には本件公職選挙法違反の犯意がなく無罪である。しかるに被告人を有罪と認めた原判決には判決に影響をおよぼすことの明らかな事実の誤認があり、到底破棄を免れないというのである。

よつて按ずるに、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人が原判示の東京都議会議員選挙に既に同都江東区から立候補の決意をしていた安平輔から同人に当選を得しめる目的をもつて昭和三七年一二月九日頃原判示の被告人の自宅において同人のため投票取纏めなどの選挙運動の依頼を受け、その報酬などとして供与されるものであることを知りながら現金二万円の供与を受けた事実を一応認定し得るのであつて、これが認定についての形式的証拠の存することは記録上明らかであり、また被告人が右金員の交付を受けた日が原判決摘示のとおり、右と同趣旨で安が単独または他の者と共謀してそれぞれ供与し、被告人以外の原判示選挙人らがその各供与を受けた日と同じ日か、若しくはこれと近接して相前後していることおよび右供与した各金額も被告人が交付を受けた金員と大体類似の額で特に金額の上で大きな差異のないことに鑑みれば、被告人が交付を受けた右金員の趣旨も他の原判示選挙人らに対すると同様、原判示の選挙運動をすることに対する報酬などであり、被告人も充分その趣旨を知りながらその交付を受けたものではないかとの疑念をいだかせない訳ではない。しかし、一件記録を精査し、かつ、前記各証拠をつぶさに検討し、これに当審における事実取調べの結果をも加えて勘案するに、よしんば安としては原判示金員を原判示のような趣旨で被告人に供与したものと認定し得るとしても、原判決挙示の関係各証拠、なかんずく被告人の検察官に対する各供述調書を採つてもつて、たやすく被告人においても右金員が安のため選挙運動をすることの報酬として供与されるものであることを認識してその供与を受けたものと認定し、直ちに被告人を有罪と断定することはいささか躊躇せざるを得ないのであつて、その理由は左記のとおりである。

先ず、記録上肯認される被告人と前記安平輔との間柄は、本件事案を判断するうえにおいて忽せにすることのできない点であつて、論旨においても指摘するとおり被告人と安はいずれも旧日本海軍々人であり期を異にしても共に海軍兵学校の同窓生であつて、かかるお互いの身分関係を通じ初対面の当初から厚い友愛の絆によつて結ばれた間柄であつたことは、これを想像するに難くないのであつて、この点被告人以外の原判示選挙人らとは異り被告人と安が特別の関係にあつたことはこれを是認せざるを得ないところである。そして一件記録に徴すれば、そもそも被告人は海軍兵学校における安の先輩に当り、昭和三七年六月頃、自由民主党総務会長衆議院議員赤城宗徳の顧問をしていたことから同年七月施行の参議院議員選挙に立候補した源田実のため運動をしていて、たまたま安のことを耳にし、同人に源田の応援方を電話で依頼したことを契機とし、その後同年九月頃託間某の仲介により尋ねてきた安と初めて面接するに至つたものであつて、その際既に原判示選挙に立候補することを決意していた同人から助力方を頼まれてこれを承諾し、爾来後輩である安のためその念願を達せさせようとして種々尽力したのであるが、その後同年一二月八日夜安から電話をもつて同人の計画した安後援会主催にかかる源田実講演会を源田が承諾するようその斡旋を頼まれ、当時旅行先より帰宅し疲労している身でありながら快くこれを引き受けて、翌九日早朝原判示の被告人の自宅において安を待ち受けたうえ、同人とともに遠路神奈川県厚木在の源田方を訪ね右の斡旋におよび、同月一一日前記講演会が開かれるに至つたのであつて、原判示金員は右九日朝被告人らが源田方に赴く直前右被告人の自宅で歳暮名下に菓子折とともに授受されたことが認められる。そして安はその頃既に前記後援会を基盤として原判示選挙を目指し運動を展開しており、被告人に対し原判示金員を供与したのも、前述の源田講師斡旋に対する謝意のほか、なお被告人が安のため選挙運動をすることを期待し、それらの一連の行為に対する謝礼の趣旨を含めたものであつたことはこれを否定し得ないとしても、被告人としては、もともと被告人が安に対し助力を約しこれが尽力を惜しまなかつたのは一に前記のとおり同人が海軍兵学校における後輩であるということから同人の念願する政界進出を果させんがための友愛の情に基くものであつて、なんら報酬の如きを期待したからではなく、しかも公職選挙に対する知識、経験がないわけではないから、若し被告人において右金員がいささかでも本件選挙に関係のあることを感知すれば直ちにそれを拒否する心境にあつたことが認められ、従つて、被告人が当審公判において供述するとおり、安から原判示金員を歳暮として提供されたため深く意に介することなく、勿論その金額を確かめないまま、前記のとおりたまたまそのとき引き受けていた源田講師斡旋に対する謝礼の趣旨程度に理解してこれを受領し、そのほか格別将来運動をすることに対する謝礼の趣旨を含むものとは思いおよばなかつたことを窺うことができる。尤も、被告人は、その後において安から原判示選挙における自由民主党公認候補の斡旋方を頼まれ、昭和三八年一月同人のため前記赤城に対しこれが尽力方を依頼し、その他選挙用ポスターの製作に当り自らの意見を加え、更に、原判示選挙告示後安の個人演説会および街頭演説において同人のため推薦演説をするなどして公職選挙法にいわゆる選挙運動と目すべき行為におよんでいるけれども、かかることは原判示金員を受領した際特に意識していた訳ではなく、また、もとより右金員の交付を受けたからその行為におよんだものでもなく、前記のとおり報酬ということを離れて尽力したまでのことであり、却つて被告人が原判示選挙区内に居住していないため右演説をするに際し旅館に宿泊した代金一万円余りを自弁していることさえ窺われるのである。なお、被告人は、原判示金員の交付を受ける以前においても、安を前記赤城に紹介し、同人に安の原判示選挙のため尽力することを承諾させていること、二回に亘つて行われた安の後援会発会式に、その第一回には右赤城、第二回には前記源田の各講演方を斡旋し、かつ、後者の際は源田の差支えにより同人に代つて自ら挨拶を述べていること、更に右後援会幹部の会合に出席していることなど安のため種々尽力したことが認められるが、それとても被告人は既に右後援会発会式に赤城および源田の講演斡旋方を依頼された際安からこれに対する謝礼の意味でウイスキー二本を贈られているのであつて、被告人が当審公判において供述するとおり、被告人としては原判示金員に右従前の尽力に対する謝礼の趣旨が含まれているものと認識しなかつたとしてももとより当然のことであつて、これをあながち不合理であるとして責めるべき筋合いのものではない。以上詳述したように、被告人と安との間柄、原判示金員の交付を受けるに至つた経緯およびその前後における事情、特に被告人と安との身分関係からして金二万円の額が歳暮として決して不相当なものでもなく、また、被告人において従前社会的儀礼として現金を贈られたことが絶無でなかつたこと等に鑑みると、被告人の検察官に対する各供述調書中被告人が交付を受けた原判示金員の趣旨に関する供述部分はこれを採つてもつて本件の罪証に供することはにわかに賛同し得ないところである。殊に、被告人の検察官に対する昭和三八年五月二二日付供述調書の末尾第六項にある「最後に一言申したいことは、私は自民党員であり選挙ブローカーではありません。安の選挙の応援をして安を当選させるために票をふやすことにいろいろ努力して来ましたが、金を貰つたからやつたのではないことをつけ加えておきます。」との一言は、まことに含蓄のある言葉であつて、ひつきよう被告人は海軍兵学校における安の先輩として報酬を全く度外視し、原判示の選挙に関し安の当選を得しめるため力を尽したものであることを右供述自体のうちに看取することができるのである。そしてこの一言こそ暗に被告人が原判示のような趣旨で供与されるものであることを知りながら原判示金員の供与を受けたものでないことを表明して余りあるものといわなければならない。なお当審における事実取調べの結果に徴すれば前述の源田講演会は源田の講演を熱望していた青年らの願いを容れ原判示の選挙とは全く関係なく、また被告人および源田自身としてもその講演が絶対に政治的に利用されることのないことの確約を得たうえで開かれるに至つたものであつて、その講演内容も専ら国防に関するものであつたことが認められるから、これをもつて安の本件選挙運動の一環としてなされたものと即断することは相当でない。

以上を要するに、被告人が原判決が摘示するような趣旨で原判示金員を供与されるものであることを果して認識していたか否やの点についてはなお一抹の疑惑を払拭し得ないが、さりとて本件について被告人の有罪を確信するまでの心証は一件記録を精査し各証拠を吟味してみても未だ形成するに至らないのであつて、ひつきよう本件は、被告人の有罪を認定するにその証明が十分でないといわなければならない。従つて本件公訴事実はその証明がないことに帰し、被告人は無罪である。されば被告人を有罪とした原判決には判決に影響をおよぼすことの明らかな事実の誤認があるので爾余の論旨につき逐一判断を加えるまでもなく、原判決中被告人に関する部分はこの点において到底破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決中被告人に関する部分を破棄し、同法第四〇〇条但書により直ちに次のとおり自判する。

本件公訴事実は、被告人は、昭和三八年四月一七日施行の東京都議会議員選挙に際し同都江東区から立候補することを決意していた安平輔の選挙運動者であるが、昭和三七年一二月九日頃同都北多摩郡狛江町駒井二四八番地の被告人居宅において、右安から同人に当選を得しめる目的で投票取纏めなどの選挙運動を依頼され、その報酬などとして供与されるものであることを知りながら現金二万円の供与を受けたというのであるが、前述のとおりその証明がないから刑事訴訟法第三三六条により被告人に対して無罪の言い渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本勝夫 海部安昌 石渡吉夫)

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